東海道御案内
問屋場は人足や馬を供給する所で各宿場にあつたが荷物の目方を改めたのは品川、府中、大津の三ケ所であった。二人持荷物の制限は十貫目であつたが、明治維新には薩州や長州の武士が巾をきかせて、十二貫目あつても十貫目だと言つて役人を困らせ、人足もいやがつて出て来ないという話が駿府にもあつた。
しろうま
道中の居酒屋のことを「白馬」といつた。紺のノレンに馬の躍ねる図を白く染め抜いて、馬が跳ねる-即ち荒馬で「あらうまい」としやれたもの。初めは「馬い」甘い-とすべての飲食物を商う店が使つたが、後には酒屋のみが用い、「白馬を飲もう」等と言うようになつた。
